小さな冒険のきっかけは「寝坊」。
その寝坊の原因は、夕べの忘年会で飲み過ぎたこと。
僕は日本人かつ新参者ということで、現地会社のいろんな方に
お酒を注いでもらった。注いでもらうと、断れないのが「日本人」
いや「体育会系」。何度「乾杯」したことか。
帰宅は午前様。起きたら、すでにクラブチームの朝練が始まっていた。
そこで友人はせごんさんの提案により「そうだ、マレーシアに行ってみよう」
となったわけだ。
ちなみに静岡出身の僕は、JR東海の昔のコマーシャルの影響を受け、
何かにつけて「そうだ、京都に行ってみよう」を引用するクセがある。
シンガポールからマレーシアのジョホールバル(JB)へ行くには、
シンガポール北部の橋「Causeway」とシンガポール西部の橋
「Tuas 2nd Link」がある。どうせなら、ぐるっと両方回ってこようかと。
この考えが後で大変な結果をもたらすことになるが、この時点ではわからない。
1400自宅を出発するとにわか雨。シンガポールは雨季なのだ。しかも午後の降雨率が
極めて高い。引き返すかどうかは、シンガポールを出る時点で判断しよう。
シンガポール北部の橋「Causeway」の袂に1510到着。雨は降っていない。
シンガポール側のイミグレーションに並ぶ。自転車レーンはないから、
オートバイのレーンに並ぶ。明らかに場違いだ。学生時代にジョホール水道は、
歩いても渡れると聞いていたが、歩いてる人はおろか、自転車は僕だけだ。
しかもディスカバリーチャンネルのジャージ上下。とにかく目立つ。原付暴走族が
ゴチャゴチャしている中、約30分をかけてようやくイミグレを脱出。
すぐそこはJB、いやマレーシアだ。ちょっと感慨にふける。
以前何度か乗用車で渡ったことがあるが、やはり自転車で国境を超えるのは一味違う。
「Causeway」の上でも写真を撮りたかったが、路幅が狭い上に、後ろから
原付暴走族が流れてくるため停車できなかった。ということで、マレーシアの
イミグレ手前でシンガポールに挨拶をした。1550「行ってきます」
さてJBの観光をしたものか、早々に「2nd Link」を目指すべきかと
ジョホール水道を西に向けて疾走。きれいな建物があったので
止まりたかったが、路肩がなく止まれない。後から調べてみたらそれは、
イスタナ・ブサールとアブ・バカール・モスクだった。しょうがない、
観光は次回にしよう。
またまたにわか雨。それならと休憩。古びたフードコートで菊茶を飲む。
好んでは飲まないが、そこにはこれしかなかった。健康っぽいイメージのせいか、
シンガポールでは女性に人気がある。
1610雨は上がらないが、やむなく出発。雨の粒が大きいせいか、痛いくらいだ。
「Causeway」に戻るという選択肢もあったが、「初志貫徹」と小さなことにこだわり
さらに西へ。地図は持っていなかったが、ジョホール水道沿いに西へ行けば
「2nd Link」に着くはずと行き当たりばったりの性格が背中を押す。
「知らない土地で道に迷ったら最低でも3人に聞いてみろ」学生時代にバックパッカの
真似事をしていたときに、誰かから習った言葉だ。自分の勝手なイメージで
そろそろかなと思い始め、信号待ちの度に原付暴走族の皆さんに道を尋ねる。
やはり皆さんそれぞれ言うことが違う。一番自信のありそうな人の意見を
参考にして走り続けた。
その中に「道案内してやるから、俺についてこい」と言ってくれた人がいる。
彼は自転車のスピードを知らないのか、あるいは恰好からして
僕が超人扱いされたのか、45km/h以上で引っ張ろうとする。マレーシアは
シンガポールと違って道に穴ぼこがたくさん空いてるので、原付に
ぴったりとドラフティングするのは危険。ということで、道案内は
ありがたかったが、結果として足を消耗してしまうことになった。
案内してくれた道は、なんと高速道路。いいのかなと思いつつも路肩を走り続ける。
どこまで続くかわからない比較的大きなうねりのある一本道、そして
沈みかけた太陽。この風景、雑誌で見たことあるぞ。。。そうだ、アイアンマンの
ランパートの写真だ。ということは、こういう状況で頑張れば、
僕もアイアンマンを完走できるかななどと、まだまだ先の自分をイメージしてみる。
水がなくなってきた。ちょっと辛いぞ。30km/hキープもままならない。
そのときシンガポールまで14kmという標識がようやく出てきた。
明るいうちに家にたどり着くだろうか。
高速道路の出口で「自転車はいくら?」と念のため聞くと、払わなくていいようだ。
後続の原付暴走族がはやし立てる。シンガポールまであと7km。そのとき、
マレーシア・イミグレの手前にガソリンスタンドと併設されたコンビニを発見。
ついさっきまでアイアンマンを目指して、辛い状況だけど頑張ろうと思っていたのに、
即コンビニへ(弱い)。スポーツ飲料の100+(ハンドレッドプラスと読む、微炭酸)と
少量のポテチを購入。まだまだ精神修行が足りない。
1830シンガポールはすぐそこだ。シンガポール・イミグレが見えてきた。
例のようにオートバイのレーンに並ぼうとすると、イミグレ職員がこっちへ来いと言う。
話を聞いてみると「2nd Link」は自転車や徒歩では渡れないことになっていると。
「2nd Link」はマレーシア側もシンガポール側も高速道路しか繋がっていないようだ。
シンガポールのイミグレ職員によると、シンガポールでは自転車は高速道路を
走れない、だから安全を考えて自転車の通行を許可していないんだと。
「じゃあ、一体どうすれば・・・」と僕。
「JBに戻るしかないだろう」とイミグレ職員のリーダらしき男がバッサリ。
ここまでの走行距離82km。現在時刻1840。精神的に戻るのはかなり辛い。
ここは見境なくヒッチハイクでも何でもして、イミグレを通り抜けるしかないか。
同情してくれてそうなイミグレ職員に相談。「ヒッチハイクはありかな?」
「それもここでは禁止されてる、やるならマレーシアで」「・・・・・」
暗くなってきたし、もう一歩も戻りたくない。これが本音。頭が仕事(交渉)モードに
切り替わる。そして運よく10分後に、別の出口から解放してもらえた。
日本のパスポートとシンガポールのグリーンカード(労働ビザ)のおかげだろう。
2000帰宅。
さぁ今晩は明日の朝練のために早く寝なきゃ。